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会津磐梯山麓「晩秋の彩り尋ねて癒し旅」

猪苗代湖と磐梯山
猪苗代湖と磐梯山

福島県のド真ん中に雄大な会津磐梯山がある。
下界よりも一足早く、晩秋の彩りが濃くなってきました。天空の猪苗代湖、お膝元にある猪苗代地方。其処には、氷雨に濡れた美しい色とりどりの景色が広がっています。寒くなってくると、暖かい温泉が最高です。もちろん、秋は食欲が増してきますので、お出かけの際にはその地ではならの郷土食がお勧めです。

今回は、猪苗代リゾート山頂駅からの磐梯山登山1時間30分。又は、翁島ルートからの登山は2時間30分。その何方も高原の白樺街道を抜けて天鏡台先の登山口に向かいます。ゴンドラからの眺めは、越後の飯豊喜多方方面から栃木県那須連山。そして郡山方面中通り地方まで眺望できます。
其処から見る猪苗代湖は、まさに天鏡湖です。

白鳥丸
白鳥丸

土津神社は延宝3年(1675年)、磐梯山麓見祢山の地に葬られた保科正之の墓所に造営された。「土津」(はにつ)という名称は、寛文11年(1671年)に正之が吉川惟足より吉川神道の奥義を授けられた際に「土津」の霊神号を送られたことに由来している。翌寛文12年12月18日(1673年2月4日)に正之が死去すると、遺言通り見祢山の麓・磐椅神社の西方に葬られた。正之は生前、死後は磐梯山の神を祀る磐椅神社の末社となって永遠に神に奉仕したいと望んでいたという。そのため、土津神社は磐椅神社の末社となっている。現在境内には、明治13年(1880年)に再建された社殿と7つの末社、山崎闇斎の撰文で正之の治績を刻んだ高さ7.3mの土津霊神之碑があり、さらに奥の院として正之の墓所がある。

慶応4年(1868年)の戊辰戦争時、母成峠の戦いで会津藩が敗れた後、猪苗代城代高橋権大夫の命で土津神社には火が放たれ、全焼してしまった。その後、会津藩が斗南藩(現・青森県下北半島)に移封されると、土津神社の御神体も斗南藩に遷された。明治4年(1871年)の廃藩置県によって斗南藩が廃されると、御神体は猪苗代へ戻り、磐椅神社に祀られた。この後、明治7年(1874年)から土津神社の再建が始まり、同13年に完成し、御神体が遷されて現在に至っている。
昭和62年(1987年)5月12日、会津若松市東山町と耶麻郡猪苗代町に所在する「会津藩主松平家墓所」が国の史跡に指定された。

10月下旬から11月上旬に掛けて、土津神社の晩秋風景は真っ赤なモミジが絨毯のように広がり、ひと風毎に黄色いイチョウの葉が舞い降りてきます。旅人にしか味わえない心の絵模様となる事でしょう。

土津神社
土津神社
秋色尽くし
秋色尽くし

磐梯山麓には、安政2年に開業した湯治宿が今でも一軒だけ残っています。
さぎの湯旅館は、昭和の初期まで山麓から湧き出す硫黄泉を使用していました。経済発展と共に、薪炊きでの湯沸かしから石油ボイラーに燃焼機器が変更されました。これならどれだけお客さんが来ても、待たせる事なく朝から晩まで温泉湯治に役に立つだろうと考えたそうだが、其れは5年も経たずに夢破れる結果となりました。鉄の湯送パイプが温泉湯花で使用不可になってしまったのです。
今では、猪苗代リゾートからの源泉を直接引き湯して使用していますので、いつでも快適な高塩泉に入る事ができます。

さぎの湯旅館では、現在でも長期温泉保養ができます。関節痛などには、一週間ほどの温泉療法が最適です。お料理は、豪華な懐石ではありませんが、稲苗代地方の郷土料理を基本膳としています。味噌から惣菜迄自家製造しています。

さぎの湯旅館
さぎの湯旅館
温泉ソムリエヨシ爺
温泉ソムリエヨシ爺

詳細は:猪苗代押立温泉さぎの湯旅館
TEL:0242-65-2515
http://www.saginoyu.biz

詳細は、猪苗代リゾートホテル
〒969-3288
福島県耶麻郡猪苗代町綿場7126
TEL:0242-65-2131 FAX:0242-65-2263
https://inawashiroresort.com/

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