
鶴ヶ城公園内にある、千利休の子・少庵が建てたと言われる茶室です。1591(天正19年)2月28日に、豊臣秀吉の怒りに触れて、千利休は切腹を命じられました。その際に千利休の茶道が途絶えることを惜しみ、会津領主蒲生氏郷は千利休の子・少庵を会津にかくまいました。本茶室は、千小庵が保護されていたときに本丸内に建てられたと言われています。戊辰戦争で会津藩が敗れた時に、森川善兵衛(指月庵宗久)は茶室が失われるのを惜しみ自宅へ移築しました。その後120年森川家で保全され、平成2年に元の場所へ戻ってきました。
茶室麟閣には、麟閣の南側、表門上、脇門上の3ヶ所に、三千家の家元による扁額が掲げられており、全国的にも大変珍しいと言われています。
茶室麟閣ではお抹茶もお愉しみいただけます。