

天明の大飢饉の際に、会津藩でも様々な問題が発生しました。その課題を解決するために、田中玄宰は藩政の改革をするよう、5代藩主・松平容頌に進言します。その中心に教育の振興を掲げたことが、日新館創設のきっかけとなりました。
10歳になると、会津藩士の子弟は日新館に入学し、論語などの素読のほか、医学、書学、弓術、砲術、刀術、水練(よろいかぶとを身に着けたまま泳ぐ練習)などを学んでいました。日新館には水練水馬池と呼ばれる日本最古のプールがあり、15歳以上に昼食を支給するなど日本で初めて学校給食を実施したともいわれています。
日新館は戊辰戦争時に焼失しており、現在は復元された学び舎で、当時の少年たちのに思いをはせることができます。
日新館では、座禅や弓道体験のほか、赤べこや起き上がり小法師の絵付け体験なども行っています。