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史跡・歴史的建築物・文化財
竹久夢二ロマン記念碑
きよひめ公園近くの只見川沿い遊歩道にある記念碑です。大正ロマンを代表する画家で、「宵待草」の歌でも知られる竹久夢二が柳津を訪れた記念に建立されました。夢二は昭和5年の夏に柳津町を訪れ、数多くのスケッチをしたほか、魚渕でウグイに餌を与える様子を詩に残しました。
会津 柳津町 -
史跡・歴史的建築物・文化財
竹久夢二の歌碑
大正ロマンの代表的な画家・竹久夢二は東山温泉を愛し、三度滞在・逗留しています。その時描いた美人画が今でも旅館に残されており、一般公開しています(無料)。温泉街の中ほどには、彼が作詞した「宵待草」の歌碑が建っています。
会津 会津若松市 -
史跡・歴史的建築物・文化財 神社仏閣
竹屋観音堂
会津三十三観音の第八番札所。竹屋集落にある大雲山観音寺本堂に隣接する観音堂です。そのとして鎌倉時代に造られた木造如意輪観音像は、総高86.9cmを計るヒノキ材の寄木造で、衣紋のさばき、面相に鎌倉風の写実的な彫法が観察され、観音堂本尊として安置されています。県の重要文化財です。
会津 喜多方市 -
神社仏閣
淡島神社
岩谷山の南麓に祀られており、薬師如来とともに医薬の神として伝えられています。4年に1度、山車を従え遷宮を行います。2月の催しとして江戸時代中期、明治、大正、昭和時代の歴史あるひな人形の展示があります(要確認)。
県北 伊達市 -
史跡・歴史的建築物・文化財
滝沢旧街道(滝沢峠)
会津盆地と猪苗代を結ぶ滝沢旧街道は、参勤交代や物資の流通には欠かせない街道で、会津の歴史の側面を支えてきました。戊辰戦争では、白虎隊が滝沢本陣から滝沢峠を越えて戸ノ口原へ出陣しています。峠の山頂付近には、村民により手厚く葬られた会津藩士十八人の墓があります。今はおだやかな四季と風情を楽しむ格好の散歩道になっています。
会津 会津若松市 -
史跡・歴史的建築物・文化財 神社仏閣
大國魂神社
磐城七社の一つ。神名帳では磐城七社の筆頭にあげられます。主祭神は大国主命(おおくにぬしのみこと)こと大己貴神(おおなむちのかみ)。創建年は未詳ですが、周辺に甲塚古墳や推定樹齢1000年の大杉があることから、歴史の古さがうかがえます。同社に伝わる国魂文書は中世磐城の様子を知ることができる一級史料であり、県指定重要文化財。現在の社殿は江戸時代の延宝8年(1679)の建立で市の有形文化財に指定されています。
いわき いわき市 -
花・木・植物 神社仏閣 【特集】桜スポット
大隣寺
二本松藩主・丹羽家の代々の菩提寺で、戊辰戦争で奮戦した二本松少年隊16名の供養塔があります。戊辰戦争直後は藩主の謹慎所や藩庁後の仮事務所、藩校として使われていました。境内には大きなしだれ桜があり、歴史情緒を感じさせます。毎年7月に二本松少年隊墓前祭が行われます。
県北 二本松市 -
史跡・歴史的建築物・文化財
大里城(牛ヶ城)跡
今からおよそ500年前の室町時代に築かれた山城。天正18年(1590)に伊達政宗軍約1万人との籠城戦を繰り広げました。この城の主は須賀川二階堂氏の一族、箭田野安房守義正で約500人の兵で立てこもりました。約2ヵ月にわたり、城に攻め寄せる伊達軍に対抗した難攻不落の名城です。地元大里小学校では、5、6年生による創作劇「大里城物語」を定期的に上演し、勇猛果敢に戦った祖先をたたえています。
県中 天栄村 -
絶景スポット 道の駅・まちの駅・物産館 史跡・歴史的建築物・文化財 【特集】紅葉
大内宿
江戸時代には会津西街道の宿駅として栄え、旅の要所として重要な役割を果たしてきた地域です。整然とした屋敷割や本陣、脇本陣など当時の姿をとどめ、国重要伝統的建造物群保存地区になっています。街道沿いに並ぶかやぶき屋根の家々は、まるで江戸時代にタイムスリップしたかのような錯覚に陥ります。
南会津 下郷町 -
花・木・植物 神社仏閣 【特集】アヤメ
大鏑矢神社
801年坂上田村麻呂がこの地方を平定したおり、戦勝を祈願して鏑矢を奉納したと伝わる神社です。境内にはハナショウブ園があり、6月下旬から7月上旬まで、130種・5000株の花菖蒲が見事に咲きそろいます。
県中 田村市 -
史跡・歴史的建築物・文化財
大塚山古墳
大塚山山頂にある、4世紀前半に造営された全長114mの前方後円墳で県内2番目の大きさです。古墳全域が国の史跡になっており、出土品は国の重要文化財に指定されています。出土した三角縁神獣鏡は岡山県鶴山丸山古墳のものと同型で、当時大和朝廷の影響が会津まで及んでいたことがわかります。出土した副葬品の一部は鶴ヶ城内に展示されています。
会津 会津若松市 -
公園 史跡・歴史的建築物・文化財
大鳥城跡
舘ノ山の頂上に位置します。平安末期の信夫庄司・佐藤氏の居城で、建築時に守護神として、一羽の生きた鶴を城の中央に埋めたと言われています。(出典:信達一統志)四方を川に囲まれた、自然の地形を使った山城でした。文治5年(1185)に源義経を追って来た源頼朝の軍勢に滅ぼされました。現在は出丸跡、館跡、空濠跡等が残り、舘の山公園として親しまれています。
県北 福島市