戊辰戦争で柳橋付近で奮戦し、戦死した娘子隊軍隊長中野竹子の碑です。 中野竹子は17歳の頃、赤岡大助の養女となり、文武の習得に励みました。戊辰戦争が勃発すると、松平容保の義姉である照姫を守ることに忠義を尽くすことを決め、鶴ヶ城に向けて出陣しました。その際、涙橋において西軍と激しい砲撃戦となり、わずか22歳で銃弾に倒れました。
殉節の碑は昭和13年に建てられ、「武士(もののふ)の猛き心にくらぶれば数にも入らぬ我が身ながらも」という辞世の句が刻まれています。
中野竹子殉節の碑
歴史・文化
住所 | 福島県会津若松市神指町大字黒川街道西250付近 |
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ホームページ | https://www.aizukanko.com/spot/158 |
交通アクセス |
車:磐越自動車道会津若松ICから車約20分 鉄道:JR磐越西線会津若松駅からバス 黒川下車徒歩約3分 |
お問い合わせ |
会津若松市観光課 TEL:0242-39-1251 |