応永3(1396)年に築城された四本松(しおのまつ)城が、文明3(1471)年に改修された際、宮森城と改名されました。永禄12(1569)年に大内家の領地となるも、天正13(1585)年に大内定綱が伊達政宗に敗れ、伊達領に。二本松城攻撃をもくろんだ政宗が小浜城に入ったのに続き、政宗の父・輝宗が宮森城に入りました。ところが輝宗は、宮森城を訪れた二本松城主・畠山義継に拉致され、政宗の追撃に遭って義継ともども粟ノ須で最期をとげたのです(粟ノ須の変)。宮森城(上館)の約2㎞北に小浜城(下館)があり、両城が連携して領地を防衛していました。現在、本丸は神社として整備されていますが、宮森城の礎石や石垣は残っています。
宮森城跡
歴史・文化
住所 | 福島県二本松市小浜字上舘地内 |
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ホームページ | http://www.nihonmatsu-kanko.jp/?p=1261 |
交通アクセス |
車:東北自動車道二本松ICから車約20分 鉄道:JR東北本線二本松駅からタクシー約20分 |
お問い合わせ |
岩代観光協会 TEL:0243-65-2803 FAX:0243-55-3005 |
案内 |
周辺には、腹切り石、かっか石、稚児が墓など、残忍なできごとを物語る史跡が残っています。 |