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くろがね小屋ストーリー

KUROGANEGOYA STORY

くろがね小屋ストーリー

1949

(昭和24年)

くろがね小屋開業
949(昭和24)年夏、くろがね小屋が開業しました。小屋が建てられた場所は安達太良連峰の鉄山の下、標高1,400mの地。裏手に岳温泉の源泉地帯があり、開業当初から小屋に温泉が引かれていました。また、管理人が常駐して一年中営業しており、ここに日本最北の温泉付き通年営業の山小屋・くろがね小屋が誕生しました。
くろがね小屋と命名したのは、国立公園選定委員として安達太良山を訪れた植物学者・登山家の武田久吉博士です。名前の由来は、小屋の背後にそびえる鉄山。現在は「てつざん」ですが、かつては「くろがねやま」と呼ばれていたことからこの名が付けられました。小屋にかけられた看板は、当時の県知事・石原幹市郞氏の揮毫によるものです。
翌1950(昭和25)年、安達太良連峰は磐梯朝日国立公園に指定され、1953(昭和28)年には小屋を1棟増築しました。
1957(昭和32)年に高松宮宣仁親王殿下がくろがね小屋を訪れた際、軒先に吊るされた鐘をご覧になり、「くろがねの鐘」と名付けたといわれています。ここから鐘がくろがね小屋のシンボル的存在となりました。くろがね小屋に来たことがある方はガラスケースに入った鐘が飾られていたことを覚えているかもしれませんが、あれがその当時の鐘(初代の鐘)です。

1963

(昭和38年)

2代目くろがね小屋営業開始
1963(昭和38)年、くろがね小屋が木造2階建てに改築されてリニューアルオープンしました。2023(令和5)年3月31日に営業を休止するまで多くの登山客に愛されてきた、お馴染みのくろがね小屋の姿になったのはこの時です。
木の温もりに満ちた小屋の内部は、当時としては珍しい吹き抜け式の開放感あふれるモダンなデザイン。小屋の建て替えにあたって関係者がヨーロッパに視察に行き、そこで見た現地の山小屋を参考に設計したのだそうです。
1988(昭和63)年には浴室を改築。湯船が広くなり、源泉掛け流しの温泉をより楽しんでいただけるようになりました。

1990

(平成2年)

「くろがね小屋カレー」誕生
くろがね小屋の夕食といえば、ご存知「くろがね小屋カレー」。今でこそ名物となっていますが、このカレーが誕生したのは2000(平成12)年頃のことです。
くろがね小屋開業当初から食事の提供はしていたものの、メニューはその時々で異なりました。1990(平成2)年頃から当時の管理人(現管理人からすると先々代になります)が週末の繁忙時にカレーの提供を開始。そこから「たかがカレー、されどカレー」の精神で試行錯誤を繰り返し、およそ10年かけて甘味と酸味のある現在のくろがね小屋カレーが完成しました。
登山で疲れた身体でも食べやすいように、栄養をつけて元気に登山を楽しめるようにという想いを込めて先々代の管理人が作り上げたくろがね小屋カレー。そのレシピは代々の管理人に大切に受け継がれ、現在に至っています。

「くろがね小屋カレー」秘伝レシピ
くろがね小屋カレーの仕込みは、夕食として提供する前日の午前中から始まります。
まず玉ねぎをスライスし、焦げないように気をつけながらペースト状になるまでひたすら炒めます。次に牛肉と豚肉の角切りをしっかり炒め、玉ねぎペースト、にんじんと合わせてとろ火でじっくり煮込みます。夜はいったん火を止め、翌日再びとろ火にかけて、お肉がホロホロになったらじゃがいもを加えます。カレールーとスパイス(ガラムマサラ、クミン、コリアンダー、ターメリック、カルダモン)で味付けし、隠し味にフルーツチャツネを加えて軽く煮込めば完成。地元・二本松産コシヒカリ100%のご飯にたっぷりかけて提供しています。
学生時代に初めてくろがね小屋カレーを食べてそのおいしさに感動した現管理人Tですが、考案者の先々代管理人にレシピを教わった際、こんなに手間暇かけて作っているのかと驚きました。完成までに1日以上かかるので、紅葉シーズンなどの繁忙期は毎日カレー作りに追われることになりますが、「おいしい」と喜んでくださるお客様のために心を込めて作っています。
もちろん、新生くろがね小屋でも引き続きくろがね小屋カレーを提供する予定です。それまでの間は、イベント等でくろがね小屋カレーを調理・販売します。このサイトやくろがね小屋のインスタグラムで告知しますので、ぜひ食べに来てください。

2011

(平成23年)

東日本大震災
2011(平成23)年3月9日。当時学生だった私(現管理人T)はくろがね小屋の手伝いを終えて山を下り、栃木県の実家に帰りました。その2日後の11日14時46分、東日本大震災が発生。テレビで福島県の被害が大きいことを知りました。16時頃にくろがね小屋の衛星電話がつながり、当時の小屋番さん(くろがね小屋カレーの生みの親である先々代の管理人)と話して、宿泊客がいたものの怪我はなく、小屋にもインフラにも被害がなかったとわかり安堵しました。
小屋番さんによると、宿泊客は翌12日に下山。茨城県から来ていた方は自宅に帰るのに1日以上かかったといいます。その後しばらく小屋に留まった後、小屋番さんも山を下りました。くろがね小屋は避難小屋の役割もあるので、鍵は開けたままにしておいたそうです。
その後、3月末までくろがね小屋は休業。小屋がまったくの無人になったのは、1949(昭和24)年の開業以来初めてのことでした。
4月末のゴールデンウィークに私がくろがね小屋に戻った時は、すでに通常どおりの営業を再開していました。原発事故の影響で観光客が激減していた時期でしたが、安達太良山には県外からの登山客も来ており、小屋で再会して互いの無事を喜ぶ常連客の姿も見られました。例年に比べると静かなゴールデンウィークでしたが、そこには普段と変わらないくろがね小屋の日常があったことが印象に残っています。