福島県出身のタレント・俳優にして、2016年のエベレスト登頂でも知られるなすびさん。
故郷の自然、風物に限りない愛情を注ぐなすびさんに、喜多方の見所を案内していただき、福島が誇る名峰・飯豊山にともに登ってもらいました。
「福島は知る人ぞ知る酒処。なかでも喜多方市は、人口あたりの酒蔵の数が日本一なんです!」
はじめてお目にかかるなすびさんは、気さくな笑顔で話しはじめた。そして、喜多方をはじめとした福島の見所やおいしいもの、土地に伝わる知恵を紡いだ文化を次々と紹介してくれる。そうして語る、ひとつひとつの話の手触り、その確かさにお驚きたずねると、震災の復興支援イベントなどで縁があり、数年前から、喜多方市の商工会議所青年部に、賛助会員として所属しているのだという。
「福島のために、なにか自分ができることがあれば……」
大きなからだを丸めてつぶやく姿に、誠実さがにじみ出る。登山経験がないままエベレストに挑戦したのも、そうした思いからだとか。
「今回は、ぼくの知っている福島のすばらしさを、みなさんにお裾分けできたらと思います」
一杯一杯、手作りするため、提供できるのは1日100杯ほど。醤油チャーシュー麺は800円。
お昼時、喜多方の事情通であるなすびさんに連れられたのは、化学調味料を使わない、丁寧なつくりが人気のラーメン店「壱席参頂」。
「喜多方はラーメン屋が100軒を超える麺の町。有名店は数あれど、じんわりとした出汁の旨みが味わえる、この店はおすすめです」(※「壱席参頂」さんは2022年5月に閉店しました。)
続いてなすびさんが案内してくれたのは、寛政11年(1790年)創業の蔵元「大和川酒造」。全国新酒鑑評会において7年連続で金賞を受賞中の「弥右衛門」をはじめとした銘酒で知られる、喜多方を代表する老舗蔵元だという。
江戸時代に建てられたという蔵に一歩入ると、しんとした空気に包まれる。蔵は呼吸をするように空気を循環させ、室内の温度、湿度を一定に保つそう。
蔵見学の締めは、自慢のお酒を楽しめる利き酒コーナーへ。薫りふくらむ日本酒の味わいに目を開かされる。
「明日はこのお酒を山でいただきましょう!」
ピーナッツを手剥きすることで、実に傷がつかず、酸化を防ぐ。ソフトクリームは380円(レギュラー)。
「喜多方では、ラーメンのあとにスイーツを食べるのが流儀なんです」
にっこり笑うなすびさんが続いて案内してくれたのは「おくやピーナッツ工場」。100%会津産のピーナッツをひとつずつ手剥きし、渋皮ごとペーストにして作られたソフトクリームは想像以上の濃厚さ!
「もうひとつのおすすめが“うまい十種ミックス”。ぼくはエベレストに持っていき、行動食にしていました」
あいにくの雨模様のなか、御沢野営場から入山。登山口にそびえる、ご神木のような巨樹を見上げ、なすびさんはゆっくり歩き出した。いきなりの登り道が続いてゆくが、整備が行き届いており、迷うことがない。
そのうえ、ちょうどよい間隔で「下十五里」「中十五里」「上十五里」と開けた台地が現れて、登りの疲れを癒やしてくれる。3時間半ほど歩いてたどり着いたのが「峰秀水」。冷たい沢水で喉を潤す、なすびさん。
「いまも続くお参りの道だからでしょうか、傾斜はきついけれど、歩きやすいですね」
(右)ご神木のような巨樹に見守られ、飯豊登山の開始。
(左)三国小屋の金子益雄さんが「飯豊でいちばん旨い水」と胸を張る、峰秀水。
長く続いた登り道は、牛ヶ岩山方面から延びる稜線と合流するあたりから緩やかになる。慎重に歩みを進めると、クサリが設置された「剣ヶ峰」の岩稜が現れた。なすびさんは慌てずに岩を摑み、登山靴のソールを岩にぴたっとつけ、グリップを効かせてゆっくりと登ってゆく。
(左)クサリのついた剣ヶ峰の岩稜を、慎重に越えてゆく。
(右)切合小屋の先で現れた、小さな雪渓。
(下)続く難所・御秘所。
続く難所「御秘所」では、姥権現を祀ったお地蔵さまに手を合わせてから、岩に取りかかった。見上げた空には、かすかに晴れの予感が漂っている。
(左上)御秘所の手前に祀られるお地蔵さま。
(右上)御前坂を登り切ると、かすかな晴れ間が!
「雨のなか、よく来たね」
ようやくたどり着いた、宿泊地である飯豊本山小屋。どこか懐かしい親分のような笑顔ととももに、大きな手で握手をしてくれたのは、小屋番の渡辺秀則さん。乾いた服に着替えたら、酒を手に、他の宿泊者とともに食卓を囲んだ。
(右上)濡れ鼠のぼくらにあたたかく接してくださった、切合小屋の佐藤正弘さん。
(右下)同じくずぶ濡れのぼくらを小屋へと招き、コーヒーをご馳走してくださった、三国小屋の金子益雄さん。渡辺さんとは、古くからの岳友。
渡辺さんは飯豊山岳信仰を紐解く貴重な資料「飯豊山導者絵図」のコピーを取り出し、山に伝わる話を独特のユーモアを交えて聞かせてくれた。そうして話はクマのこと、それを追うマタギのこと、そして足元を彩る草花のこと―。
なすびさんは真剣な表情で、それらに耳を傾ける。
「おらが山というのでしょうか、地元愛にあふれる山の話はいいですよね。ぼくももっと福島の山を登り、そこに伝わる話を聞いてみたいと思います」
(右)酒を囲み、渡辺さんの山の話に耳を傾ける。
(左)うつらうつら舟を漕ぐ、なすびさん……
雨上がりの朝、渡辺さんが飯豊山頂へと連れていってくださった。途中のかすかな踏み跡は、かつて新潟県側からのお参りに使われた道だという。その昔、参拝者が歩きながら撒いた米により、登山道は白く染まった―そんな話をうかがいながら、静寂に包まれた草原をとことこと歩いてゆく。
(上)小屋の前に広がった、みごとな朝焼け。
(下右)渡辺さんと飯豊本山山頂へ。
(下左)古い参道は、草花たちが咲き誇る楽園。
草むらの陰にひっそりと咲く、イイデリンドウ。
山頂はあいにくの雲のなか。そこから御西岳方面に見える雪渓を渡辺さんは指さした。
「あのあたりは、2,000mクラスでは世界でも珍しい、50mほど積もった万年雪で、“弟見雪”っていうんだ」
(上)霧と風に包まれる、飯豊本山山頂。
(下左)50m積もっているという弟見雪を眺めながら、弘法清水へ。
(下右)笹盃でいただく、鮮烈な清水。
そうして、会津の命水と呼ばれる“弘法清水”へとさらに足を延ばした。
「ヒメサユリが咲き終わったところをみると、秋はすぐそこだね」
登山道脇に咲く花を見つめながら、雪を割って流れる清水へ。笹の葉を折って「笹盃」をつくり、生まれ出たばかりの清水をなすびさんへ。その味わいに言葉を失う……その足元に咲くのはハクサンコザクラ。
「彼女は春を告げる雪解け草。このあたりは、秋と春が同居しているんだねえ」
目の前には雪渓が広がり、やわらかな風があたりを包んでいる。
取材後、編集部に送られてきた、
渡辺さんによる飯豊の写真。
「なすびさんに届けてあげてください」
徐々に霧が晴れ、雄大な稜線が、山並みと雪渓が織りなすたおやかな姿が現れる。
お世話になった渡辺さんと本山小屋に別れを告げ、下山をはじめる。ときに降ったかと思うと晴れ間がのぞく……
そんな時間が続くなか、少しずつ晴れ間の割合が増えてゆく。切合小屋に挨拶をし、小さな丘に登ると、この山旅で初めての快晴に包まれた!
みるみると周囲の山と雪渓が姿を現し、これほどまですばらしいところにいたのかと、改めてため息を漏らす。
「これは、もう一度登りに来なければ……ですね!」
故郷の山を見上げると、なすびさんは大きくうなずいた。
晴れ間が広がると、すばらしい景色があらわに。その様子に頬が緩むとともに、どこか誇らしげな様子のなすびさん
飯豊山の登山コース紹介や観光についての情報はこちらにも掲載しております
会津エリア
無事に下山し、喜多方の町へと舞い戻る。ずぶ濡れのうえに腹ペコのぼくらは、なすびさんの案内で「いいでのゆ」へと向かう。さっそく露天風呂へと向かうと、茶色いお湯が疲れたからだに染み渡ってゆく。
ひと風呂浴びたあとは、同施設内の食堂で名物の「山都そば」に舌鼓。つなぎをいっさい使わないという、そば本来ののどごしと香りを楽しむ。
「いい旅でしたね……」
思わずつぶやくと、なすびさんはにっこりと、トレードマークのようなあの笑顔で微笑んでいた。
いいでのゆ
「飯豊山は大変だという話を聞いていましたが、たしかに楽に登れる山ではありませんでした。樹林帯、岩場、森林限界、雪渓、湧き水などが織りなす美しさ、さらには沢登りもすばらしいと聞き、その多様さ、懐の深さに驚くとともに、一泊の登山ではもったいないという、名残惜しさを感じました。そして、渡辺さんをはじめ、山の人情に触れられたことも印象的でした。
エベレストに登ることで、福島のお役に立てたら……そう考えてはじめた登山なので、じつのところ県内の山もよく知りません。それでも、福島の魅力を発信し続けていきたいと思っています。それには私自身、福島の山を知らなければ、登らなければ説得力はないので、これからも機会を見つけ、地元の山を旅したいと思います。
おこがましいかもしれませんが、故郷の福島に対し「私がやらないで誰がやる」的な、使命感に似た思いがあります。福島の魅力は、自然の豊かさや食べ物のおいしさ、そしてなにより人の温かさだと自負しています。そして、飯豊山には、登山の醍醐味がギュッと凝縮されていると思います。ぜひとも福島に、飯豊山に来てくなんしょ!
喜多方駅から車で30分ほどに位置する三ノ倉スキー場。会津盆地を見下ろすこの丘には、8月上旬から9月上旬にかけて、8ヘクタールにわたるひまわり畑が広がっている。開花期など、詳細は喜多方市WEBサイトへ。5月中旬から6月上旬にかけては、菜の花が咲き誇っている。
喜多方市熱塩加納町相田北権現森甲857-1
喜多方観光物産協会(三ノ倉高原花畑)
その名のとおり塩分濃度が高く、源泉は65度という高温の温泉。湯冷めしにくく、保湿効果も高い。古くから湯治場として知られ、数軒ある旅館で日帰り利用ができるほか、レトロな雰囲気の共同浴場がある。足の疲れをやわらげてくれる無料の足湯もおすすめ。
(共同浴場)喜多方市熱塩熱塩甲811
9:00~16:00/入湯料200円
熱塩温泉
かつて「蔵を建てねば一人前の男とは認められぬ」と言われた喜多方市。現在も多くの蔵が残っているが、当時の面影を色濃く残すのが「旧甲斐家蔵住宅」。麹製造などで財をなした三代目甲斐吉五郎が、大正6(1917)年から7年を掛けて建てたという重厚な座敷蔵の一部を見学することができる。
喜多方市字1-4611
9:00~17:00(最終入館16:30)/入館料無料
喜多方観光物産協会(旧甲斐家蔵住宅)
豆腐屋さんだったという古民家を改装した、居心地のよいカフェ&雑貨店。会津の新鮮な野菜や魚、乾物など伝統食材を味わえる料理と、地元作家によるあたたかみのある工芸品が人気を呼んでいる。会津の新旧の風物を伝えるギャラリーとしても注目を集めている。
喜多方市字寺町南5006
10:00~18:00(火・水曜定休)※冬期時間あり
つきとおひさま
かつては各町内に、いまも喜多方市内に8軒の酒蔵があります。小さな町にこれほど造り酒屋があるのは、飯豊山からの伏流水に恵まれているからです。清冽で豊富な水が豊かな米作りを支えてきたからこそ、酒文化が育まれてきたのでしょうね。また、冬の間しっかり冷えるというのも、低温発酵を必要とする酒造りの重要なポイント。水、米、風土が喜多方の酒造りを支えているんです。
同じ会津でも、若松は猪苗代湖水系の硬水を使った、きりりとした飲み口が特徴。こちらは花崗岩からなる飯豊の軟水から生まれますから、華やぐような口当たりが楽しめます。
うちの酒蔵では、使用する米のすべてを自ら手がけることを目標にしています。地元の水を使い、その流れで育った一粒一粒の米を、土地の蔵人が手がけて酒にしてゆく……地酒は日本中にありますが、地元の水と米に、徹底的にこだわった“郷酒”ともいうべき一杯を目指しています。
飯豊のよさ? そうだねえ、どこから登っても楽なコースがひとつもないからねえ。きついところなら、ダイクラ尾根とかいくらでも紹介できるんだけど(笑)。とはいえ、ひとたび稜線にあがるとたおやかっていうのかな、草原があって、花が咲いていて、雪渓が広がっている。歩いて渡れるような雲海が漂うさまなんかは、本当に気持ちがいい。
ここはマタギの山で、もちろんクマもいる。あるがままの風の音や鳥の唄が楽しめるよね。
山はきついし、山小屋も北アルプスのようにいたれりつくせりではない。だけど、そんな“山らしい山”が日本にひとつくらいあるっていうのも、悪くないと思うんだよ。