『大人のバイク旅』の発売に合わせ、10月27日に開催された『ライダーズPITインふくしまスカイパーク』はおかげさまで大盛況でした。来場者数はなんと1300人以上。しかし、なにより嬉しかったのは、バイクで旅することで福島を盛り上げていこうと思う人たち、つまり自分と同じ思いを持つ大勢の人たちと一緒の時間を過ごせたことでした。会場に来てくれた人たちはもちろん、イベントを盛り上げてくれた福島県の関係者やスポンサーの方々、そして運営を陰で支えてくれた八重洲出版のスタッフに、いまはどれだけ感謝しても感謝しきれない気持ちでいっぱいです。
そんな嬉しい出来事があった一方、自分では良かれと思ってしたことが、まるで正反対に取られてしまうこともありました。先日、あるところから『大人のバイク』でやっているスタンプラリーに関する批判を耳にしたのです。要するに「プレゼントを餌にして、福島をバイクで走らせようなんてトンでもない」ということでした。もちろん、放射能の危険性を一般に広くアピールしたいのでしょうが、それにしても……という切ない気分が残りました。以前に似たような経験をしていたこともあり、結局、こういう人たちとは分かり合えないのかなぁ……と考えるしかありませんでした。
東日本大震災はとてもショッキングな出来事でした。その1か月ほど前、石巻には取材で訪れたばかりだったこともあり、ライブカメラの映像で見覚えのある港の建物が津波に呑まれていくのを見たときは、まともに呼吸ができないほど息苦しくなってしまいました。さらに福島第一原発の建屋が吹き飛ぶのを見るにおよび、大げさでなく「ついに日本もおしまいか……」と思いました。津波で家を流されたり、肉親を失った人からすれば、東京にいて何を甘ったれたことを言ってるのかと叱られるかもしれません。でも、この日を境に自分のなかの何かが変わってしまったような気さえしました。
そんななか、大学生の息子が南相馬へボランティアに行くと言いだしました。「原発の近くはボランティアも集まらず、人手が足りないみたいだから」という心意気が誇らしくもあり、多少の小遣いを渡して「しっかり働いてこい」と送り出したのです。ところが、このことが原因で当時付き合っていた女性と揉めてしまったのです。
(コブ付きのバツイチですが一応独身です、念のため)
「息子をそんな危険な場所に行かせるなんて非常識じゃないか」と言うのです。
そのうち、スーパーで産地表示を念入りにチェックしたり、ネットで海外発の放射線情報を調べたり(政府発表は信じられないという理由です)という彼女の態度が気になりはじめて、結局別れることになりました。もしかすると、東日本大震災がなければ、2人の間の根本的な価値観の違いには、一生気付かなかったかもしれません。それがいいことか、悪いことかはまた別問題として……(笑い)。
「次の『大人のバイク旅』は一冊丸ごと福島特集です」と言うと、ごくまれに「エッ!」という表情を浮かべる人がいました。正直なところ、そんなことが本を作っている間じゅう、小さなささくれのように心の隅に引っかかっていたのです。でも、10月27日、ふくしまスカイパークに集まった人たちの笑顔を見たら、きれいさっぱり消し飛んでしまいました。すべての人と主義や主張、価値観を同じくすることは決してできない。だったら、自分が正しいと信じることをやるしかない……。そんな当たり前のことをあらためて教えられた気がしました。ボランティアから帰ってきた息子も同じようなことを言っていたのですが、福島を応援しに出かけたのに、逆に元気づけられて帰ってきたようです。
震災のあと、東北の太平洋岸に何度か足を運んで、ひとつ気付いたことがあります。海岸の住宅地や道路、港や防波堤など、人の手で作ったものはあの大津波で破壊しつくされてしまいました。しかし、ふと瓦礫の山から目をそらし、何もない海岸線に目を向けると、そこにはハッと息を呑むほど美しい砂浜や入り江が残っています。このとき「自然は強いなぁ」と思うと同時に、「人間だって自然の一部じゃないか」と思い直しました。楽観的な考えかもしれませんが、この美しい自然がある限り、福島は、東北は、そして日本はきっと立ち直れるような気がしてきたのです。
たしかに原発が事故を起こし、放射能を撒き散らしてしまったことは巻き戻すことのできない現実です。とはいえ、放射能の危険、脱原発や再稼働反対をヒステリックに叫ぶだけでは(いま総選挙の真っ最中で、選挙カーが近所を走り回っています。ハハッ!)、世の中は良くならないのではないでしょうか。
いま自分にできることといえば、さまざまな雑誌や本で、福島の魅力をたっぷり伝えていくこと。これしかないと思っています。これからもよろしくお願いします!
(2012年12月現在)