女性ライダー・モデル
福山理子 さん
生年月日 : 昭和50年11月6日生
略 歴 : 立正大学(哲学科心理学専攻)、日本大学(英文科)、青山心理臨床カウンセラー、初代ミニスカポリス、モデル、綱引き審判員、心理相談員、日本プロ麻雀協会、キャットファイター
「福山さん、今日って来れますか?」
震災から4日目、あたしはふにゃふにゃでなんにもできないでいた。
ただ壁によっかかってテレビを眺めてるだけだけ。
電話は数週間前に予約した美容室から。
あんなに楽しみだったのにちっとも興味がない。
今のこんな腑抜けな、あたしには、綺麗になりたいなんて気持ちがあるわけがなかった。
でも、東京も電車は動いていなしい自転車は売り切れ。
お店だってキャンセルばかりだろうし、動ける女子は限られている。美容室、行ってみようか。
「大変だったでしょう?よく、こられたわね」
こんな東京のごみごみした大都会のど真ん中なのに、
彼女はまるで、久しぶりに人にあったみたいな感じでそう言った。
今は誰もが不安なんだ。
人という存在を感じるだけで、なんだかほっとする。
あたしも同じだった。
「大丈夫です。バイクだから来れたんです。」と、ヘルメットを見せたら「バイクに乗るのね?あら、そのヘルメット、息子のと同じメーカーだわ。うちの子、バイクが大好きなの。好きすぎて浅草でバイク屋やってんのよ。」
あたしの母親と同じくらいの彼女とは知り合って3年。
なのに初めて聞く話だった。
「そうなんですか?じゃあ、あたしんちの近所かもしれないですね。浅草のどこら辺ですか?」と聞いたら、息子さんに電話をかけてくれて、それから、彼女は受話器を置くと「うちの子、今から被災地に行くんだって。心配だからって。もぉ~全くね」と苦笑いした。彼女の笑みは、なんだか綺麗だった。心配しながらも、心のある子でよかったというか、それでこそ我が息子。っていうか。そして、やっとあたしはこの時「あたしにだって何かできるかも。」って、何かが動いた。
今日、ここに来た意味がわかった。
何かしたい。
あたしは、急いで家路につきながら息子さんのお店を探した。
言葉だけしか今は持っていってもらえないけど何かを伝えたい。急がなきゃ。って。
「こんな近くにバイク屋さんあったっけ」
そのお店は、偶然にもあたしんちからたった10軒先にあった。
でももう、中は真っ暗で彼は福島にむかっていた。
バイクに乗って。
あの数日間、あたしは自分の力のなさに落胆していた。自分の頼りなさに絶望していたんだ。でも、あたしにはバイクがある。だから今日何かみつけられたんだよね。
けど、今すぐには、何もできないあたしが被災地に行くわけにはいかなかった。食事もお水もガソリンも、充分にはもってないから。
その日、あたしは仲間と東北へのツーリングを計画した。
そして、離れててもできることを考えた。
2011年、初夏。東北へ。
ツーリングで仲間とでかけると、たくさんのライダーたちとすれ違った。いろんな土地のナンバープレート。東北道はまだ道が悪くて、辛い気持ちになったけど嬉しかった。
あたしは、それから何度か福島に向かっているけど、一番印象に残っているのは2011年秋の「Out Riderミーティング」。到着するとすぐに一人の男性が話しかけてくれた。福島県の方だった。
「理子さん、福島に来てくれてありがとうございます。」
なぜだか、胸が苦しくてたまらなかった。
なんてことなんだろうと思った。あたしは、来ただけだよ。って思って、彼の手を握った。それから、「みなさんで食べてください。」って福島名物の桃のお菓子をくれた。とても強くて優しいくて胸が痛くなる味だった。あたしは、あの味を絶対に忘れないと思う。
バイクは、あたしに出会いをくれる。これを読んでくださってる全国のみなさんとも、湧きあがる気持ちも。バイク乗りだからできること。あたしはバイク乗りだから探していきたい。
これからも、あたしは愛を注いでいきたいだけなのです。まだ終わりではないのだから。
あたしたちはつながっている。
( 2013.03.現在 )