
紫・白・ピンク色の大ぶりな花の房が風にそよぐ姿は圧巻の美しさです。
美しいフジの花スポットを11箇所紹介します。
紫・白・ピンク色の大ぶりな花の房が風にそよぐ姿は圧巻の美しさです。
美しいフジの花スポットを11箇所紹介します。
高さ30mの大杉にからみつく樹齢300年以上の白藤です。三嶽神社が此の地に鎮座された時に植えられたものと考えられています。須賀川市の天然記念物に指定されるその姿は壮観で、「白藤神社」と呼ばれる程です。
長沼市民サービスセンター
0248-67-2111
鶴ヶ城の東、徒歩約15分の場所にあり、中央に心字の池を配した回遊式の借景園と、各種薬草を栽培する薬草園が御薬園の名前の由来です。昭和7年に徳川時代の代表的な大名型山水庭園として国の名勝に指定されました。四季折々に花が咲き誇り、歴代の藩主が愛した庭園の風情を深めてくれます。
御薬園
0242-27-2472
川俣町の市街地からは車で10分ほどで到着し、羽田春日神社には駐車場が5台程度確保してあります。羽田春日神社の参道左側にあるこのフジは、スギ、エノキ、カシ等の枝に大小三本の藤の枝がまとわりつき、曲折上下しつつ上昇しながら、初夏になると石の鳥居を覆うように花房が垂れてとても見事です。明治12年撰の羽田村誌(信達二郡村誌)にも「老藤と榎樹相調繆す」と記されており、明治の初めには既に老藤として有名だったことがわかります。
羽田春日神社
024-565-3110
旧鳥取村の村社である深山神社の境内には、町の天然記念物に指定された、樹齢500年以上といわれる根回り4m、枝の張り出しが15mある大カヤがあります。明治14年(1881)の「信達二郡村誌」に大カヤ、大藤が記されています。大藤は大カヤにからみつくように蔓延しており、5月上旬~中旬の見頃の時期、滝のように藤の花が咲きます。
国見町産業振興課商工観光係
024-585-2238
相馬神社は相馬氏の始祖「師常(もろつね)」を御祭神として、明治12年に中村城(馬陵城)本丸跡に創建されました。師常は保延5年(1139)に千葉常胤の次子として生まれ、相馬中務太夫師國の家を継ぎます。相馬氏は「平将門」の末裔であり、代々下総の相馬郡一帯を領していましたが、文治5年(1189)に師常は源頼朝の将であった父の常胤に従って平泉攻めに加わり、常胤は軍功をあげた恩賞として八幡大菩薩の旗を一旗と相馬地方を賜りました。師常は七人いた常胤の子の中で特に優れ、頼朝の信頼も厚かったため「鎌倉四天王」の一人に数えられており、常胤は長男には千葉地方を、師常には流山地方と相馬地方を与えました。
相馬神社
0244-35-3362
1.5haの村越建設工業敷地内にて鮮やかに咲き誇るふじの花を公開しています。満開時には花が1m以上も下がり、幻想的な雰囲気の中、ふじ棚の下の遊歩道を歩きながら、香り豊かな花々に囲まれてゆっくり鑑賞を楽しむことができます。
村越建設工業株式会社
0248-75-5847
約10万平方メートルの広さの園内には200種類以上の植物が植えられており、四季を通して花々を楽しむことができます。園内には東屋や大きな花見台があり、ゆっくりと花を眺めることができます。
高野花見山
0246-27-2537
明治30年代に当時の本宮の地主伊藤弥氏が開拓し、「百果園」と名付けて果樹の栽培をしたことに始まります。別荘として建てられた蛇の鼻御殿は国登録有形文化財です。
花と歴史の郷 蛇の鼻
0243-34-2036
「中村城」は別名「馬陵城」とも呼ばれます。昔、この地は天神山といわれ、中世にはその一部に館が構えられたこともありました。慶長16年(1611)に相馬利胤が築城して小高城から移り、明治初年に廃されるまで、260年間にわたる相馬氏歴代の居城として藩政の中心となりました。本丸のまわりには郭、濠、溜池、土塁、空濠などをめぐらし、二の丸を東西南北に、三の丸を東西北に配し、さらに岡田塁(岩﨑塁)、円蔵郭、蓮池などをおいて、この城をより堅固なものとしました。本城跡は、築城当時の姿をよく残しています。昭和30年2月4日に県の史跡に指定されました。
相馬市観光協会
0244-35-3300
岩代国一之宮・会津の総鎮守として2000年を超える歴史を誇り、会津地名発祥の由来を伝えます。強運をはじめ方除や厄除、事業育成、五穀豊穣、縁結びなどのご利益があるとされます。国や県の重要文化財などの貴重な宝物類を有するほか、日本三田植のひとつで国指定重要無形民俗文化財の「御田植祭」など、古式ゆかしい行事が数多く伝わっています。会津の原生林を残す約2万坪の神域には、神社の御神木で“会津五桜”の一つである「薄墨桜(うすずみざくら)」や県天然記念物「飛竜の藤」のほか、色とりどりの花菖蒲が咲き誇る外苑「あやめ苑」があります。
会津美里町観光協会
0242-56-4882
二本松城(別名霞ヶ城)は、寛永20年(1643年)に入部した初代二本松藩主丹羽光重公によって近世城郭として整備されました。十万石の大藩であった二本松は、戊辰戦争で激しい攻防が繰り広げられ、二本松少年隊の戦死などの悲話を残して落城しました。現在はその面影を石垣などにとどめ県立自然公園として整備され、日本百名城として多くの人が訪れます。春には公園全体にソメイヨシノやヤマザクラなど約2,500本もの桜が咲き誇り、城跡全体を霞がかかったように桜が覆うさまは、訪れる人の心を魅了します。また、秋は「二本松の菊人形」の会場として観光客で賑わいます。紅葉も美しく、霞ヶ池・るり池・傘松周辺など見頃に合わせてライトアップが行われます。水面を蒼に濃紅に色付けるさまは、風情を感じさせます。
二本松市観光連盟
0243-55-5095