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天鏡閣について
天鏡閣建設の背景
1907年(明治40年)有栖川宮威仁親王殿下が東北を御旅行中、猪苗代湖畔を巡遊した際に風光の美しさを賞し、当時の県知事平岡定太郎の勧めもあり、猪苗代湖を望む高台に御別邸を建設することを決定しました。また、諸外国からの使臣や貴賓をお招きするための目的もあったようです。1908年(明治41年)4月、雪解けとともに起工し同年8月に竣工しました。
設計者は不明ですが、施工者は東京の遠藤組(※)です。
建設雑誌、第二百五十四号 1908年(明治41年2月)掲載。「有栖川宮御別邸有栖川宮威仁親王殿下には今回福島県岩代國耶麻郡翁島村に敷地三百町歩を御買上の上同地に御別邸御新築あらせらるる事に決し舊臘神田区千代田町二十五番建築請負業者遠藤君蔵氏へ建築費五萬圓にて受負ひを命ぜられ(以下略)」
名前のいわれ
1908年(明治41年)9月、皇太子嘉仁親王殿下(大正天皇)が翁島御別邸に行啓し、5日間滞在しました。その際、この御別邸を「天鏡閣」と命名されました。これは李白の句「明湖落天鏡」に由来しています。
国の重要文化財へ
昭和54年2月、天鏡閣本館、別館、表門が国の重要文化財に指定されました。昭和57年9月、修復工事が完成し、昭和59年7月には、有栖川宮威仁親王銅像が東京築地から移設再建されました。後に、昭和天皇・香淳皇后両陛下、徳仁(なるひと)親王殿下(今上天皇)が御来県の際に天鏡閣を御視察されました。