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天鏡閣の歴史
歴史
1907年(明治40年)8月
有栖川宮威仁親王殿下が東北地方の旅行中に猪苗代湖畔を巡遊し、その風光の美しさに惹かれ、ご別邸を建設することを決定。
1908年(明治41年)春
雪解けを待って着工し、同年8月に竣工。
1908年(明治41年)9月
皇太子嘉仁親王殿下(大正天皇)の行啓があり、ご別邸に5日間滞在し「天鏡閣」と命名された。
李白の句「明湖落天鏡」(めいこはてんきょうをおとして)に由来している。
李白の句「明湖落天鏡」(めいこはてんきょうをおとして)に由来している。
1924年(大正13年)6月
高松宮宣仁親王殿下が有栖川宮の祭祀を継承し、天鏡閣も同親王殿下に引き継がれた。
1924年(大正13年)
8月5日から30日の25日間
8月5日から30日の25日間
東宮(昭和天皇)、同妃殿下が新婚旅行として滞在された。
1946年(昭和21年)
農村青年教育機構として天鏡閣に「財団法人英世学園日本国民学舎」を開設した。その後、学舎は「湖畔聖書学校」に転換され1951年(昭和26年)頃まで使用された。
1952年(昭和27年)12月
高松宮宣仁親王殿下より天鏡閣と和風別邸(現、県迎賓館)、敷地(山林を含む約98ha)が福島県へ御下賜され、天鏡閣は会議や講習会等の施設として利用された。
1971年(昭和46年)4月
建物の老朽化により使用を中止した。
1979年(昭和54年)2月
天鏡閣本館、別館、表門が国の重要文化財に指定された。
1980年(昭和55年)9月
天鏡閣の修復工事を着工。
1982年(昭和57年)9月
修復工事完成。
1982年(昭和57年)10月15日
高松宮殿下、同妃殿下ご臨席のもと、天鏡閣修復工事落成式が挙行され、一般公開が開始された。
1984年(昭和59年)7月
庭園内に有栖川宮威仁親王殿下の銅像が再建された。
2008年(平成20年)10月
天鏡閣建築100周年を記念してイベントを開催した。