国指定重要文化財

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施設案内

天鏡閣の構造

外観

本館はルネッサンスを基調とした木造2階建ての明治洋風建築です。建築面積492㎡延面積927㎡、総高17.9m、外観は変化に富み、屋根は天然スレート葺で八角搭屋付、東翼部を腰屋根、他を寄棟とし、随所に円形または、半円形のドーマウィンドーが設けられています。西側に玄関ポーチ、その上部にはバルコニーを構えています。南側は東西に非対称的な翼部と中央に八稜形状に突出した入口があり、二階部分にはベランダを設けています。外壁は目透し横板張りペンキ塗り、窓は上げ下げ窓です。

内部

天鏡閣の名にふさわしく、館内には7面の鏡があります。各室及びホールには26基の暖炉があり、大理石のマントルピースは、イギリス製のマジョリカタイルで装飾されています。主にチューリップをモチーフとしたデザインです。壁は漆喰塗で各室は鼠漆喰、廊下と天井は白漆喰塗です。
それぞれの天井には漆喰で彫刻した中心飾りを付けてシャンデリアを吊るしていました。窓にはロールスクリーン、レース及びドレープとカーテンを三重に吊るし、廊下にはロールスクリーンのみを使用していました。

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食堂

洋館では、食堂は客間とならび重要な室とされており、華やかな中にも荘重で堅実な雰囲気につくられています。背高椅子(ハイバックチェアー)に座って食事をとることが礼儀とされ、家具はジャコビアン様式※がよく用いられました。
シャンデリア、暖炉、カーテン吊器具はそれぞれ当初からあったもので、暖炉のタイルはイギリス製です。鏡は暖炉の上の壁面に残っていた痕跡をもとに複製しました。形式は明治後期の洋館によく使われていたもので、額縁の上部中央には、有栖川宮家の紋章がつけてあります。

ジャコビアン様式:イギリスで17世紀後期に流行した家具の様式で、重厚な彫刻を用いているのが特色。

客間

客間は天鏡閣の中心となる室です。家具類はロココ調※1を日本風にアレンジしたもので、形は洋風ですが、漆塗に蒔絵や螺鈿が施されているのが特徴です。これは明治10年代から20年代を全盛期として、宮殿、離宮、御用邸や皇族、貴族の邸宅などで流行した様式です。椅子は鹿鳴館で使われていたものと同じ形で複製したもので、﨔に拭漆をし、図柄は酒井抱一※2の「四季花鳥図巻」からモチーフをとっています。愛らしい天使がついたロココ調の華麗なシャンデリア、暖炉、カーテン吊器具は当初のもので高松宮家から寄贈されました。油絵は上野広一※3の作品で、当初から天鏡閣に飾られているものです。

  • ロココ調:フランスのルイ15世時代の装飾様式。複雑な渦巻や花飾りなどの曲線を用い、金色で彩色する濃厚華麗な装飾が特徴。
  • 酒井抱一:宝暦11年(1761年)、江戸に生まれる。江戸後期の画家・俳人。尾形光琳に傾倒した。
  • 上野広一:明治19年、岩手県生まれ。渡仏してジャン・ポール・ローランスに師事した。帰国後、肖像画家として一家を成す。

球戯室

球戯室は、明治時代の洋館によく設けられていました。天鏡閣の球戯室にあった玉突台は、明治時代の四つ球式の典型的なもので、脚の形からライオン脚と俗称されるものです。床に残った台の跡から、アメリカ式の四つ球式玉突台が使われていたことがわかりました。この玉突台は、原三渓が所有していたものを譲り受けました。照明器具は、四個の電球で台上を均一に照らし、ゲーム中に球の影ができないようにしたもので、明治時代の器具にならって復元しました。
休憩用の丸テーブルは当初からのもので、椅子はテーブルにあわせて複製しました。
シャンデリアは他の部屋にならって複製し、カーテン吊器具は大部分が当初のものです。東西二基の暖炉も当初のもので、タイルはイギリス製です。油絵は上野広一の作品です。

外広間

玄関ホールです。ここから奥へまっすぐに通じている中央廊下を境に、南側には食堂・客間・球戯室の順で主要室が、北側には事務室・宿直室・仕人室・厨房などサービス関係の室が並んでいます。暖炉・鏡・帽子掛・シャンデリアは当初のものです。鏡と帽子掛はアール・ヌーヴォー様式※です。

アール・ヌーヴォー:19世紀末から20世紀初めにかけて西欧で流行した建築・工芸の様式。植物からヒントを得た流動的な曲線や曲面を使用するのが特色

: 非公開

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付属室(二室)

御寝室の北にあるこの二室の当初の使用状況はあきらかではありませんが、お召し替えやお化粧用にあてられたものと推定されます。ロココ風の化粧台と小椅子は、高松宮妃殿下から御下賜されたものです。
ほかの家具は化粧台に合わせてロココ風に複製しました。

御座所

御座所は書斎として使われていました。隅棚は高松宮家から寄贈されたもので、家具類はこの隅棚の意匠に合わせて複製しました。鏡は暖炉の上の壁に残っていた痕跡によって複製しましたが、妻飾りの彫刻文様は、隅棚の彫刻文様と合わせてあります。また書棚にも隅棚の文様を取り入れました。書棚、書机はジャコビアン様式で、廻転椅子は明治時代に多く使われていた形です。
シャンデリアは他の部屋にならって複製しました。暖炉のタイルはイギリス製で、これとまったく同じものが重要文化財旧函館区公会堂(明治41年)にも使用されています。有栖川宮威仁親王殿下の大理石の胸像は、高松宮家から寄贈されました。

御居間

御居間を兼ねた客室です。この室の特徴は、シャンデリアの中心飾りが大形の八角形折り上げになっていることで、室内空間が立体的に感じられます。シャンデリアは他の部屋にならって複製しました。家具は御居間にふさわしく優雅でおちついたルイ16世様式※1で、暖炉は当初のものです。
南側には小規模なベランダが設けられていて、かつてはここから猪苗代湖が一望できました。ベランダの柱はコリント式※2柱頭という古代ギリシャで使われた様式で飾られています。

  • ルイ16世様式:フランス国王ルイ16世(1774-92)時代に流行した様式。直線的で明快かつ洗練されて優雅さが特色。
  • コリント式:古代ギリシャ建築様式の一つ。柱の頭部にアカンサスの葉を飾っているのが特徴。

西客室

西客室は、隣の前室、洗面所、厠所が一体になっており、来客用として設計されていますが、実際には適宜使用されていたようです。現在は、小サロンとして整備しています。うちとけた雰囲気にするため、家具類と鏡はアール・ヌーヴォー様式です。椅子の裂地はフランス製で野の草花がアール・ヌーヴォー風にデザインされています。シャンデリアは、玄関ホールの器具にならって複製しました。
洗面所の洗面器と厠所の隅付小便器(共に英国ジョンソン・ブラザーズ社製)ならびに洋式大便器(米国製)は、当初のものです。
銅像は有栖川宮威仁親王殿下、作者は新海竹太郎※です

新海竹太郎:明治元年生まれ、昭和2年歿。彫刻家。ドイツに留学。第1回文展から審査員として活躍し、洋風彫塑の導入につとめた。

御化粧室・御厠

寝室につづく化粧室と御厠が設けられていました。化粧室の洗面台と鏡は複製しました。洗面台は、床板に残っていた給排水の痕跡と化粧台の脚部の輪郭線から推定復元しました。鏡は当時、天鏡閣の管理をしていた人の記憶を参考に取りつけました。
御厠の隅付小便器および大便器は、床と壁面に残っていた痕跡から推定し、細部の形は西客室の残存器具を参考に復元しました。ハイタンクも壁面に残る取り付け痕跡と天井に残る給水配管の痕跡によって復元しました。パイプペンダントは当初のものです。

御寝室

御寝室として使われていた室です。北側には洗面所と御厠が付属しており、西隣りの御座所ならびに北奥の付属室を含めたこの二階東側一郭は、主人の専用部分となっています。
暖炉は当初のものですが、鏡は暖炉の上の壁に残っていた痕跡をもとに複製しました。シャンデリアは他の部屋にならって複製しました。
二階はどの室も畳の上に絨毯が敷いてあります。このような絨毯の下にフェルトの代わりに畳を敷く方法は、御用邸や離宮などでよく用いられたものです。

天鏡閣と迎賓館

福島県迎賓館について

旧高松宮翁島別邸(以下「別邸」という)は、大正天皇第三皇子・高松宮宣仁親王殿下が、有栖川宮威仁親王妃慰子殿下の御保養のために、大正11年に建設されたものです。
当時、既に天鏡閣(明治41年建設)はあったものの、高松宮宣仁親王殿下は御還暦前の慰子妃殿下を気遣われ、自然の景観を庭園に見立てた純日本風のたたずまいを有する別邸を1年余りの歳月をかけて完成させました。
別邸は、洋風建築別邸の(天鏡閣〉と共に、昭和27年12月、高松宮殿下より福島県に御下賜され、福島県迎賓館として今日に至っています。
天鏡閣と迎賓館は約500mの距離にあり、徒歩での移動が可能です。天気の良い日には林道を散策してみてはいかがでしょうか。

迎賓館への道順

迎賓館は町道から約300m、徒歩で約10分の距離です。自動車の乗入は可能ですが、専用駐車場はございませんので、天鏡閣の駐車場をご利用ください。

  • 林道は砂利道です。ゆっくりお進みください。
  • マイクロバス以上の大型車は通行できません。
福島県迎賓館